こうして2度目の留学を終えた後は、たくさんの方のご縁に恵まれ、そのまま北京でフリーの通訳・翻訳者として仕事をするようになりました。
主なクライアントの中で、中日友好環境保全センター、北九州市環境局、日本エネルギー経済研究所には日中共同プロジェクトにおける調査やセミナーでの通訳、関連資料などの翻訳作業で、また青森県には中国との定期航空便開設に向けた交渉時の通訳でお世話になりました。
通訳の仕事では昼間の会議や視察などの他に、夜の宴会にも参加する機会が多く、中国側の方たちと個人的に雑談する際に、「この地方にはこんな民歌がありますよね~」とか「○○さんの故郷にはこんな民歌がありますよね~」という話をすることで親近感を持ってもらえたり、時には余興で実際に歌って宴会を盛り上げることができたりして、更に翌日の会議や話し合いがより和気あいあいとした雰囲気で行われたというように良い方向に働くことが多かったので、日中文化交流方面での具体的な仕事にはなりませんでしたが、中国民歌を勉強したことが間接的に役に立ったと思っています。
ふるさとである秋田県関係では、数はそんなに多くなかったですが、何度か知事や副知事を始め、県から訪中される方がいらっしゃった際の通訳を務めています。
その中で、2003(平成15)年と2004(平成16)年に秋田スギ関係の事業で、北京で開かれた建材関係の博覧会に秋田から関係者の方々が出展された際に、通訳のお手伝いをさせていただく機会がありました。
この博覧会で秋田の商品は結構注目されて、現地メディアでも紹介されたのですが、残念ながらその時だけで、皆さんが秋田に帰ってしまうとそれっきりになってしまい、具体的な成果にはなかなか結び付かないという状況でした。
そこで、「これからは、“中国にいる秋田県人”という立場を活かして、何か秋田と中国とを結ぶ事ができれば……」と考えるようになりました。
そしてかなり漠然とながら、「そのためには個人ではなく、きちんとした法人組織を立ち上げたほうが良いのかな……?」と考えるようにもなったのですが、当時中国で外資企業を設立するというのはかなりハードルが高く現実的ではありませんでした。(→特に資本金について、業種ごとに「大体このくらい」という目安のようなものがあり、私にとってはこれがもう天文学的な数字でした。また全くの外国籍の“個人”が会社を設立することもまだできなかったと思います)
ただその後も起業については気になっており、ある日関連する法律が改定されて、外国籍の“個人”が一人で設立申請を行うことができ、さらに資本金の制限もなくなったことを知り、2008(平成20)年、北京でオリンピックが開催された年に会社――「北京中秋共創商貿有限公司」を設立しました。
社名には「中国と秋田とで共に明るい未来を創造する」という思いを込め、「在中国ふるさと秋田PRおばこ(自称)」として、中国と秋田の経済・文化交流促進のきっかけ作りと中国における“秋田ブランド” の確立、そしてまた秋田のファン作りを目指すべく、主に県産品(特に日本酒)の輸入販売に取り組みました。(→さらにやるからには「オール秋田で!」という思いがあり、商品の輸出においても、秋田港から出荷するようにしていました)
また県産品の紹介や販促活動として、
2010(平成22)年8月、当時オフィスとして借りていたオフィスビル内の会議室を借りて、輸入した日本酒と秋田の伝統工芸品(「樺細工」、「川連漆器」)とを合わせた「秋田特産展」を企画、実施したり、
※北京で発行されている日本語フリーペーパーで紹介された記事
11月には、日本酒の販売先だった北京のCBD(Central Business District)内にある高級デパート「新光天地」に入っている日本料理店のご厚意で、デパート全体での毎年の一大イベントである「周年祭」におけるお店の活動として、「秋田フェア」を企画、実施しましたし、
※北京で発行されている日本語フリーペーパーに掲載された広告
2011(平成23)年4月~2015(平成27)年2月まで、ほぼ毎月1回、日本酒好きな一般のお客様(メインは日本人)を対象とした試飲会を企画、実施しました。
※2011(平成23)年紹介記事
※2012(平成24)年紹介記事
秋田県関係では、2009(平成21)年、県から「秋田県国際サポーター(第1号)」の委嘱(~2013(平成25)年)を受け、(※光栄にも秋田県で最初の“国際サポーター”となり、県からは年に一度くらい、在住地の状況や秋田県に対する提言などに関するアンケートを受けていましたが、だんだん「傍らから応援する“サポーター”ではなく、秋田に生まれた人間として自分自身で何かしら少しでも秋田に貢献できることに取り組む“プレーヤー”として頑張りたい」と思うようになり、県のご厚意には心から感謝しつつも、2013(平成25)年で辞退しました)
また2011(平成23)年11月には、一般社団法人秋田県貿易促進協会と業務委託契約(~2015(平成27)年11月)を、そして翌12月には株式会社秋田銀行と中国取引支援業務提携契約(~2015(平成27)年12月を結び、対中事業での通訳やコーディネーターとして色々とお世話になりました。(→詳しくは事業実績をご覧ください)
が……
私自身の能力並びに努力不足から、会社を維持していくことが難しくなってしまい、2016(平成28)年の7月に会社を清算し、翌8月に“完全帰国”ということで秋田に戻ってきました。
秋田に帰ってきてからは、中国滞在歴27年の経験と語学力を活かし、主にフリーの通訳・翻訳業に従事しています(→詳しくは事業実績をご覧ください)が、さらに個人的には、経済的・人的交流を伴い、関連する業種が多岐にわたる観光産業が、その地域とそこに暮らす人々の活性化につながると考え、対中国語圏インバウンドに関連することで何かしら貢献できることがあるのではないか……と思いつつ、現在は個人でSNSを通じた情報発信などに細々と取り組んでおります。
最後に全くの余談ですが、家の玄関スペースに、母親が毎年秋になると山から取って来て飾っている綺麗な実のついた木の枝があります。(→たぶん冬の間の彩りにと考えてのことなんだろうだと思います)
そしてこれが半年以上もち、しかも葉が生えてくるんです。
多少は水を入れているそうなのですが、実家に戻って来て最初に見た時には、その生命力に驚きと感動を覚えました。
その翌年に取って来たものも同じように葉が出て来て、「もしかして土に植えたらそのままちゃんと育つかも……」と思い、庭の片隅に“そのまま”挿してみました。(→実はすでに全部落ちていて、枝先に葉が数枚ついている状態のものを本当にただ突き刺しただけ)
母親には「ただ土に突き刺しただけではダメだ」と言われてしまい(→常識的に考えてそうですよね)、実際に1本はすぐに枯れてしまいました。
ですがもう1本は何とかその後も数枚葉をつけてくれて、「おっ、何かイイ感じなのでは……?」と思いつつ、そのまま普段は特に気にかけることも、もちろん何か世話をすることもなくほったらかしにしていました。
それからは春もすっかり暖かくなった頃に、「あーそう言えばどうなったかな~」と思い立って見に行き、「おーーっ、ちゃんと元気でいる!」ということを繰り返して2年……最近再び見に行ったら、何か急に葉が増えていて、その生命力の強さに改めて驚き、そしてまた感動しました。
私自身が現在はまだ個人的にこみっとやっている取り組みも、これからこの枝のようにうまく根付いて少しずつでも葉を増やし、広げていくことができればと思っています。
名前も知らない木の枝(→しかも実際には実はすでに全て落ち、葉が数枚ついているだけだった)、これが……
↓
こうなりました!
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